侍ジャパン、感動をありがとう!
テレビやネットで、何度も選手たちの活躍に感動し、しばらくは侍ジャパンロスになっておりました。
MVPの大谷翔平選手は優勝を決めた直後、アメリカメディアのインタビューで「真剣な質問をしたい」「どの惑星から来られたのですか?」質問され、笑いながら「日本の田舎というか、本当にあまりチームも少ないようなところでやっていた」「日本の人たちからしても、頑張ればこういうところでできるんだっていうのは本当に良かったんじゃないのかな」と答えたそうです。
私も同じ奥州市の出身ですので「私も同じ田舎から来たんだよ!」と勝手に誇らしく思っています(笑)。一昔前は、自己紹介で岩手県奥州市出身と言っても奥州市を知らない方がほとんどでしたが、今では「大谷選手の出身地ですね」みたいなことを言われることが多くなりました。先に私が「大谷選手と同じ奥州市出身です」と言うことが多いのですが・・・(笑)。
昔から応援しているのが千葉ロッテマリーンズでしたので、パリーグばかり観ておりましたが、セリーグやメジャーリーグの外人選手にも興味が広がました。開幕した今季のプロ野球は今まで以上に盛り上がると思います。
「侍ジャパンWBC優勝」の興奮さめやらぬ中、帰省のついでに大谷選手が小中学校時に通っていた、岩手・奥州市内の「前沢バッティングセンター」に行ってみました。
「前沢バッティングセンター」は創業46年にもなるそうで、私、高校時代はソフトボール部でしたので、このバッティングセンターで練習をした記憶があります。もちろん大谷選手が生まれるずっと前のことですが(笑)。
大谷選手のポスターや新聞号外が掲示されている以外は、バッティングセンターの様子は当時と変わっておりませんでした。驚くことに料金も当時と同じで、11球で100円です。
従業員のおばさんに大谷選手のことを尋ねてみたら、小学3年生から「水沢リトルリーグ」の練習後にチームメートとバッティングセンターによく来ていたそうで、「当時は全然目立っていなく、とにかくおとなしい少年だった。」とおっしゃっていました。
ただ、才能の片りんは当時から見せていて、小学校3年生で、センター内最上級の球速150kmの球を打てる左打席を使用していたそうです。
最近、大谷選手のファンから「何か残っていませんか?」と聞かれることもあるのですが、「写真も撮ってないし、サインもない。こんなことになるなら、何かもらっておきたかった。」と笑っていました。
出身中学校「奥州市立水沢南中学校」にも行ってみました。校門までの坂は「大谷翔平選手が通った南中坂」と横断幕が掲げられていました。 不可能と言われていた二刀流で世界一になった大谷選手。これからも応援していきたいです。