語り部バス
私、地区の民生委員をやらせていただいておりまして、その研修旅行で東日本大震災を風化させないための「語り部バス」に乗ってきました。
約1時間のコースの中で語り部の方が「現地のことを“第2の語り部”として伝えてほしい」とおっしゃっておりましたので、私も涙した場所のことを、お伝えしたいと思います。
南三陸町は人口1万7千人の小さな町です。震災により、死者行方不明者が700名以上、約5千戸あった住宅も60%以上が津波により消滅してしまいました。
南三陸町で最大のホテルが「南三陸ホテル観洋」です。ホテルの2階の天井までは津波が襲ったそうですが頑丈な岩盤の高台にあったため、難を逃れることができました。震災後はボランティアや避難民の受け入れをするなど、地域復興の拠点となったホテルです。現在、この「南三陸ホテル観洋」が毎日運行しているのが「語り部バス」です。
ホテルから出発し、最初の場所が志津川湾南西の戸倉小学校です。当時、戸倉小学校では、津波警報が出たら屋上に避難することになっていましたが、震災の2日前に起きた地震の後の職員会議で、地元出身の教諭が屋上に避難することに強く異論を唱え避難場所を裏の高台にある神社に見直しました。2日後、巨大な津波は校舎の屋上にまで達しましたが、戸倉小学校の児童を含む約150名が神社に避難したため全員が命を守ることができました。
雪の降る中、4年生位までの児童はおやしろの中で、残る児童と先生、職員、町の人たちは、境内で焚き火を囲んで一晩を過ごしたそうです。眠ってしまうと凍死してしまう状況の中、「旅立ちの日」を児童が歌い出しました。この歌は卒業式を翌日に控えた児童たちが卒業式のために練習を重ねていた歌です。次第にそれが合唱となりその歌声に全員が励まされながら肌を寄せ合って寒い寒い一夜を明かしたそうです。
この話を聞き、バスの中の全員の涙が止まりませんでした。他にもあまり報道されなかったようなことをたくさん聞き、貴重な教訓をいただきました。